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| 豊後大野市観光協会>豊後大野市の文化財>岡藩主中川家墓所
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岡藩主中川家墓所 所在地:緒方町大字片ヶ瀬ほか 指定区分:史跡 指定年月日:平成9年9月2日 小富士山は海抜四五六mで、四方遮るものがなく、雄大な祖母・傾、久住、阿蘇などの山々を眺望できる。この頂上に、豊後州岡藩主中川修理太夫大室公(八代藩主中川久貞)の墓があり、御廟屋(おたまや)と称されている。墓の形式は、久貞公が儒教を信奉していたため、儒式墓となっている。中川久貞は、松平家の次男として享保9年(1724年)、三河国吉田城に生まれる。寛保3年(1743年)岡藩に迎えられ、同年12月家督相続をし従五位下修理大夫に叙せられる。就任時、藩の財政状況は悪く、宝暦3年の凶作により財政状況はさらに悪化した。緒方郷では農民による強訴が行われ、首謀者が処刑される事件が起こった。その後、安永7年の改革で、農民への「産着貸付」などの福祉政策を行い、農民も一応心服するという成果をあげた。また、「由学館」「経武館」などの学問にも重点を置き、藩の再建を図った。久貞は、寛政2年(1790年)5月、享年67歳でその生涯を閉じた。遺命により小富士山に埋葬された。法号は、「諦考院殿高法観大居士」。久貞の室、お久の方は、寛政4年(1792年)に落飾し、寛政10年(1798年)に死去した。享年71歳で死去した。 |
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