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■柴山八幡社
柴山八幡社は千歳町大字柴山にある。祭神は仲哀天皇・応神天皇・神功皇后・比売大神で、創立は不明である。「豊後国史」やその他の資料によると、豊前国の宇佐神宮から、当時、犬飼大字田原へ影向した。
その後、年代は不詳であるが本町の高畑へ遷座健治2年(1276)に今の知に神殿を造営し、崇敬するようになった。棟札の「柴山八幡宮神殿造賂考」により、その変遷を見ると次のようである。

 建治元年(1275)^兵火によって焼かれる。応永12年(1405)八幡宮造立、宝徳2年(1451)内宮の修復。寛政4年(1463)八幡大神内宮神社の建立。享禄元年(1528)八幡宮一宇上棟、 延宝元年(1673)内宮建立。 元文11年(1737)
神殿建替え。
 また、古老の言伝えや棟札によると、境内の御幸所に「用明杉」という杉の老大樹2本があり、朝日が昇るとその影は、大木村の僑のたもとまで届いたといわれている。その一本が枯れたので、柴山小右衛門がこれらを享保3年(1718)に伐採した。残りの1本は享保7年(1722)強風て倒れてしまった。
 八幡社は、幾星霜を経て明治4年(1871)12月村社に列せられ、また同6年(1873)年郷社に列せられ現在に至っている。

■柴山八幡拝殿・天井絵
柴山八幡社拝殿格天井は、間口739.5cm、奥行495.0cmあり、天井板は難波三江筆こよる「彩色花鳥獣画」の板絵158枚あり、1枚の寸法38.6cm、横39.5cmである。また、中央に縦21.9cm、横210.6cm「昇竜図」1枚がある。
 筆者、難波三江は天保11年(1840)三重郷小坂村の大庄屋、広田家に生まれ、14歳のとき三重郷宮尾村の大庄屋に養子として迎えられ、20歳で家督を相続した。本名は難波千尋で三江は雅号である。
 幼少の頃より描画を好み、戸次の帆足杏雨の門に入って南画の習得に精励した。花鳥画においては、師匠杏雨も「われ遠く三江戸におよばず」といわしめたという。

 画業がいよいよ進み、明治7年(1874)大分県師範学校が開設されると、その才能によって画学教師に任じられた。年を経ずして帰郷、南画を業とせず趣味三昧に日を送ったが、天保九如図などの力作、大作を残している。田能村竹田の系統を引く大野郡最後の南画家である。
 柴山八幡社拝殿格天井板絵は、旧柴山組大庄屋渡辺重作等氏子一同が三江に依頼して描かれた作品である。郷社、柴山八幡社拝殿の改修にあたって、社格にふさわしい装飾とするため旧庄屋渡辺重作が昵懇の間柄であった難波三江に依頼したものと推定される。

依頼に当たって、謝礼金を問うたところ、『われ金を欲せず、朝夕酒を用意すべし』と応えたと伝えられている。当作品の成立時期は、明治21年(1888)である。中央部の昇竜図は、黒と朱を主色として描き、大担な筆法のなかに昇天しようとする竜の姿態を細かく描いている。また、花鳥画獣の描画には多種の顔料を用い、華麗さ見られる。花図は傷みが進んでいるが、鳥獣図は鑑賞に耐える。